話を変えてなんですけど後藤コーチは苫米地歴が長い。
長いですはい聞きましてもう十年十五年ぐらいですね長いですねでその中でそのビフォー留置福田留吉っていう言葉をたまにこう使ったりしまして友道ワールドに入る前と入った後で世界の見方が全然変わるっていう話があるんですけどもまあ後藤コーチにおいてはまあもうどっぷり十五年使って下手すると人生の半分以上ね考えるんじゃないかという勢いですけど逆にその友達悪どっぷり使っていく中でその中でも変化を感じてく瞬間ってありますかやっぱり全部そうですね大きく体が変わるってことあると思うんですけど入った後もやっぱり初期とそのやっぱりどんどん変わってきましたそうですねままずビフォーアフターで言うとおっしゃられる通りもかなり近影者の頃からどっぷり使ってるんでなんか特にビフォーアフターがないというかそうですねあと僕はその既存のワールドに入りたくなくてなんとか逃げて抵抗してた時に避難先として苫米地博士の書籍に出会ったような形で不当になってるんであの学校でもまその神学校に入っておきながら受験勉強全然しないとか勉強は好きなんですけれどっていうその何かの世界観に入りきる前に避難先としてはそういう方多いと思うんですけどなんかこれ違うなとかなんかこの路線で行ったらどんどんしんどくなっていく気がするってなってみんな感じるしかないですかそれが早めに避難先としてその年齢はあって出会えたっていう感じでしたね実はその苫米地博士がこチングを広めているで自身もプロのこちのかなり源流に中人として活動してるっていう認識は十年ぐらいなかったんですよ全くなくてなんでその苫米地ワールドっていう表現が今出ましたけれどおそらく萩原さんがおっしゃってるのは苫米地理論ま最近は手帳にも書かれてましたけどその認知科学の先のパラダイムとして情報空間にホメオスタシスが広がっていたりとか超情報化だとかその多分訳わかんなくなるでもここら辺で止めますけれどそういうその科学者世界的な科学者としてのその友達はあるとっていう意味もあると思うんですよそれでいうとやっぱりものすごく奥が深くて学ぶのに時間がかかる外国語の習得みたいな感じでその分までは全然何言ってるのか分からないけどわかるようになってるのが一気にこう聞ける喋れるようになったみたいなそういう感じで何度も視点が切り替わった瞬間っていうのはありましたね外国語みたいな表現はすごいこうしっくり来ますねどんどんね積み上げていくっていうよりはあるタイミングからぱっと喋れるようになると危惧し話せるようになるっていうそういう瞬間が来ますけどって結構なかなかね聞いてもわからなかったりとかそうですね僕はあのプロの靴磨き職人やっていたのでその革靴を履いた猫でその一般の方に比べたらすごく靴が上手に描けるんですよねでもなんかパッと靴を見た瞬間にそのどういう汚れがついててとかなんかどんな感じでアプローチしようかとか多分常人では考えられないようなそういうことで皆さんのお仕事そうじゃないですかやったことない人からしたら信じられないことを皆さんやられてると思うんですけどそれも最初に習った時っていうのはブラシの持ち方もなんかこうしっくり来てないしクリームどれぐらいとったらいいんだろうなんかいちいちこうちぐはぐな感じがしてとりあえずこの手順でとかこういう理屈だからっていうのをこうなんか頭で追っかけながらやってるみたいな感じだったんですけどもある瞬間からもう靴磨きっていう高さがよく使う言葉だとゲシュタルトですよ靴磨きのゲシュタルトぱっとできたらもうなんか職人としての視界が広がるみたいななんかそういうレベルでその職人としての視界が広がると何が起こるかって言ったらもう靴を自由にきれいにしてあげることができるわけですよある程度どんな靴が来てで雨で土砂降りになって趣味ができていたりとか色がすごい挙げている物とかでも自由自体に綺麗にそれもなんかどこをどう光らせてみたいなこともコントロールできるんですけどそんな感じでその博士の理論っていうのが頭で分かるっていうことよりも体感に落とし込まれた後なんて言うわけですよね自分のマインドの使い方とかま仕事をするときのこう情報処理の仕方とかいろんなことは変わってできることが増えたとか言うレベルではなくて何だろう今まで歩いてた人が車に乗って高速道路を走り始めたみたいなそれぐらいの変化があった気がしますねそうですねやっぱりめっちゃある入る前と入った後だとかそれぐらいやっぱり変化もありますし後やっぱりすごい感じるのはまあ靴磨きもねこうパッと見てできるようになってくると昔の状態にも戻れないじゃないですかそうですね気候地帯の握り方ってどうだったっけ思い出せないですよねててもみたいなそうですよねやっぱりその道ワールドもそう入る前ってどうだったっけわからないくらいやっぱりすごい大きく自分の認識とかパラダイムはやっぱり変わるなというのはすごい思いますよなんかおそらく僕靴磨きのたとえをしたらちょっと失敗だったかもしれないすけど一般の方に全然共感が得られにくいんですけど例えば日本人って今読書が当たり前なのにできますけどし記述さが上がっていてでも昔の人って全然読書できる人えりとだったわけじゃないですかそんな感じだと思いますよね圧倒的にこう能力の基準が違ってベースの知識が違うみたいなでそれってその何ていうんですかね科学の進化であり技術の進化がマインドのレベルで起こっていてその人類のマインドの使い方自体が次世代に進化していくっていうことが長い歴史の中で今科学のパラダイムも追いついて起こっているのがこの千九百年の後半からこっから百年とか二百年ぐらいの間にものすごいブレイクスルー起こってくるというタイミングにたまたま我々は言わせているんだろうなっていう感じがしますそうですねとこっちが考える百年後二百年後の世界どんなふうになってそうですか百年二百年まあのー最近リダ湿布としてその社会にどのように働きかけていくのか社会を牽引していくリダ次世代のリーダーを十増やしていくのかっていうことがまあ小チングと両輪大事になってきてますけれどその論理で行くと十年三十年五十年先とか百年ぐらいが正確に見通せないといけないという意味では多分僕ももっと百年後はこうなってるっていうのを語らないといけないと思うんですけどあのー京都が千年の都っていうのを合わせから千年ぐらい飛ばしたらどうなってるかなと思ったらおそらく人生の悩み事みたいなのはほぼ消えてるんじゃないのその三年後の人類生き残っているなぜかと言うと私たちの悩みは私たちの心が生み出しているのでその心で生み出された悩みを自身の心の能力で解決をするっていう能力が全ての人にそのわで自分ではやりづらいようなその問題解決というかそのパラダイムシフトっていうのはお互いがお互いのこちになって変えてあげればいいですしまあ強力なリダもちろん娘チングを身につけたその次世代のリーダーが働き掛けてあげられるんでたぶん悩んで苦しそうにしてる人っていないじゃないかっていう風に思いますそうですね三年後ぐらいになると一年ぐらいそこに向けてのこう今から百年百年かけてどんどん変えていって千年後にはそうですねそういう世界そうですね大学生の時にあのー漫画のナルト忍者のやつですね影分身みたいなあれ六万が普通にあの好きだったので読んでたんですけどナルトの映画の歌でスキマスイッチさんだと思うんですけれど生きていくっていうのは一つずつこういろんなものを手放していくだからその最後に何もなくなった時に泣いてくれるような人がいたらそれは幸せな人生だったみたいなことを箸で歌ってて当時僕は自分のボールを探していてその最中に聞いたんでこれはゴールセッティング極めて重要だと思ったんですよどういうことかっていったらゴールを設定するとか言った時に自分がどれだけおいしいものを食べるかとかどれだけいい家に住むかとかお金を稼ぐかとかどう見られるかってこれはこれで大事だし否定することはないと思うんですけれどただそれってほとんど死ぬ時に失ってしまうってなったら自分の人生たかだか百年二百年外に続くような価値をどれだけこう自分の中に食べるんじゃなくて外に与えられたかっていうゴール設定の仕方をできるとま死の恐怖もなくなるしそのしょうもないことにこだわったり悩んだりしなくなるっていうのをすごく思ったことがあってそうそうでしたいいですねなんかまさにコーチの生き方っていう感じがしますね十五年なんですどっかに入ってたんだと思いますね世界の戦争と差別をなくすっていうことが文面からも多分この人は本気なんだろうなっていう感じでましたし長くお会いしてこう実際に触れ合ってみてもこの人は本気だっていうのがわかったんでなんかある意味どっかで人間ひよると思うんですよねとは言ってもまあこれぐらいであとは自分の人生を楽しくしちゃってま若い頃はそうやって志に燃えてたし純粋な思いもあったけどまあそういう青臭いことはそろそろねみたいな現実的にみたいな感覚になると思うんですけど多分その現実的にの行き着く先は死の直前とか死が近づいていくにつれてこれで良かったのかなっていう後悔の方に行っちゃうと思うので本人のためにも良くないですしもちろん社会のためにどっちがいいって言うまでもないじゃないですかそれが当たり前なのにある実際ノリだがこれから育っていくしそれはちゃんと科学とかその子チングを含む蓄積されてきた知の体系みたいなものを身につけたりだとして我々が育てていかないといけないかなっていう風にそうですね我々もねこれからですけども世代をどんどんません