今日は後藤コーチのインタビューということでお話を聞いていきたいと思います。後藤コーチよろしくお願いします。
よろしくお願いします投稿千葉と普段はどういったところで活動してるんですか東京じゃないですよねあそうですね最近は東京も増えてきたんですけれどずっと京都京都とか関西特に京都ですね活動してますね生まれも京都なんですか生まれは香川県です日本で一番小さい県ですあっそうなんですねカラオケ生まれで京都は大学からそうですね大学からでこのままずっとそうですね一番その地元を除くと一番長く住んでるんですけれど大学五年間あのー留年はしないですけど中学一年間してその五年間のこう一年半ぐらい一年ちょっとぐらい東京就職していってでそっから京都に戻ってそれ以降はずっと住んでるって感じですね東京でも住んでたことがありますその大学を出てからもうずっとこの京都に拠点を置くっていうのはやっぱり京都っていう場所にやっぱりすごい親和性を感じたところがあるんですかそうですね大学生の時にやっていた活動の延長線というかそこから生まれた会社で昨年は自分でも新しく立ち上げたんですけれどその取り組みをずっと京都拠点にやってたんでもう二千十五年ぐらいからずっとその京都で学生やりながらそういう仕事につながるように活動してたんでその人間関係とかなんかいろんなものがずっと京都に根付いてるんでそれでい続けてるって感じですそうですよねとすこ地といえば学生企業大企業っていうところがキーワードになってきますので厳密に言うとまあ学生起業したのは僕ではなく僕の同級生でその企業の前身の活動を一緒にやっていてま彼が立ち上げたのは彼がプロジェクトリーダーをやってた靴磨きとかそういう靴を活用したお仕事の部分で僕は教育メソッド開発みたいなこう担当してたんでこチングともすごく親和性があってで新しくそういう会社も立ち上げ個人的にこチング活動っていうのもずっとやっているのでまあそういう感じですねその靴磨きの会社って具体的にこうどういう活動をしてきたかっていうとちょっとお伺いしたいんですけどえーと大学の中に障害者の就労支援のためのカフェがあって大学のど真ん中にあるんですよ結構珍しいと思うんですけど仏教の大学でもあるんでその障害者手帳を持ってるとか持ってないとかなんかそういったことに関係なく若者がそこで共に学び高まっていくっていうそういうプラットフォームを仏教の理念を実装するではないですけど最近苦しむな世界観を作りたいっていうことで当時の作った壁があってその中からやっぱり障害者就労とかなってくるとまともな賃金が得られないとかいろんな難しい問題があるのでそういう人たちだけを支援してっていうよりは一緒に共に働いていけるような場を作ろうということでその靴磨きを事業としてやるっていう出張靴磨きから始まったんですけど今は店舗なんかも増えてきてるっていう革靴を履いてない子動画の長ぐつをはいたネコから取ったそれもあのー別の同級生がつけてくれた名前なんですけどそんな会社ですねそれはじゃあその大学の中での活動ということでわりとこう地域についたところからスタートしてあそうですねその京都の地域というと京都で結構年と言えば年京都なのであれですけど京都の地域でその教育に対して結構思いがついているその人口の割合に対して学生が一割ぐらいいるみた京都市とかだったら十五万人学生がいるらしいんですけれども結構その学生割合の高い町でみんなこう学生さん学生だった学生をさん付けで呼んで大事にしてくれるような風土があったりとかあとはその障害者教育みたいな特別支援学校みたいなのも大体そういうのって端の方にもやられたりするみたいなんですけどそうじゃなくて街中に作ってやっていきましょうみたいななんかわりとこう教育に対して思いがある年かなという風に思うのでそこであの京都であるのは合ってるだろうなというところはありますねそういった教育教育の授業そうですでしたねなんか昔京都が地域的にピンチに陥った時にみんなで民間のお金を出し合ってそれであの学校を立てよみたいなピンチだからこそその先を見据えて人材移動するみたいなそういうことをかつてやった人がかつての京都の人たちがやったみたいでやっぱり千年の都って言われるだけあって目先のことだけではなくて本質的に自分たちとか社会としてどういう方向性に向かっていかないとっていうことに取り組むにはいい場所なのかなという風に思いますじゃあそういったところでそうですね京都三大進まないとよそ者らしいのでまだまだよそ者ですし多分知らずにこうこんなことやってると思うんですけど結構大切にしていただいてるかなと。
そういった中で東京にはやっぱり憧れっていうものがやっぱりあったりしたんですが大学に入る前は実は東京に進学したくて実際受験もしたんですけどまあ香川からってなると距離もありますしそのたまたま受かったのが行きたい所が京都にあってそっちに行ったってあったんですけれど大学生活をしていく中で僕そんなに東京に対する憧れみたいな亡くなって嘘ですね一回就職した東京に行ったんでやっぱ一回行きたかったのはありましたねただ一年ぐらい住んだらなんとなくこう東京ってこんな雰囲気なんだってところが分かるんでそれで特に憧れっていうのはなくなりましたけど今東京にまた来る事とかが増えて思うのはやっぱり年のパワーというかそのビルの高さも全然違いますし京都はその高さ上下があるんで高い建物が少ないという特殊な事情があるんですけれどやっぱり香川県とか地方と呼ばれるような所と比べたら東京でも全然違うじゃないですか人の集まり一方でちょっとしんどそうな顔してる人の割合が高いなって思うんで僕の満員電車に乗ってましたけどもう最悪じゃないですかあのその満員電車に乗ってまで行きたいところがあるんだったら全然いいと思うんですけれどとてもそうではない人たちがいやいやすし詰めになっている状況かなと思って日本の一番パワーのある年がこういうマインドで動いてるんだなっていうのはプロのコツとしてはちょっと気になるところではありますねそうですねなんだろな東京にその拠点を置いてまこれから活動されてることもあると思いますやっぱり東京にこチングとしてコチとしてま進出していくっていうことに関してはやっぱり東京にこうこチングの二頭がま先程ねこうバインドがうまく使えてない方も東京に多くて疲れてる方も多いっていう話もありましたけれどやっぱり東京にこう水があるという風にこう考えで東京にそうですよね正直僕小チングの二頭がどこにあるかっていうのってあのあんまり考えたことがなくてあのーる対すが日本に来た時にその小学生でしたっけ子どもたちにお話をしてで僕も夢を持てるような大人になりたいと思いましたみたいなことを言われて愕然としたみたいな夢を持つのは普通のことじゃないかみたいな話がありますけれどあれに似たことが日本のその教育がいいとか悪いとかそういうのは一旦おいといたとしても実際に現代を生きている多くの人ってたぶん夢とか目標とかぼるとかそういう前向きなエネルギーを自分から引き出してくれるような何かがない人の方が圧倒的に多いんじゃないのかな思うのでどこにニーズがあるって言ったら全員に頭があるしどこの会社にニーズがあるって言ったら全ての会社に頭があるぐらいごく一部そういうエネルギッシュに生きてる方とか上手くいってる法人はあると思いますけど殆どにずあるんじゃないかっていう日本の状況を見たときにっていうのがまず一つともう一つはその認知科学をベースとした勿論その学問から生まれたというよりは教育者としての両対数の実践があってそれをこう最新の科学パラダイムを取り入れながらどんどん進化発展していて今の苫米地博士が引き継いでいるのが選択のコチングだと思うんですけれどこれって千九百年代の後半ぐらいから蓄積されてきたものでもちろんその仏教の思想だとかいろんなことが入ってますけれどその本当の意味で人類にこうパッケジっていうですかねその体系的に入っていったのって千九百年の後半じゃないですかなかなかそんな百年やそこらで全ての人類にそれ行き当たらないですし先ほど言ったように日本にそれが広まってるかっていったら日本って世界の中でもそれを友達と集中的に広めてきてますけど全然まだまだだと思うんで多分に頭がない人類っていうのはいない次世代とか本当にみんなが生き生きと私の力役って言葉が好きなんですけどそういう世の中を実現した時にはみんなが共通して持っている知識とか技術のインフラみたいなものだと思うニュースだらけじゃないかって思ってます見ただけですね東京に限らず全世界ですね。